とても寒い朝が続いています。

そんな中でも昨日は特に冷気が立ち込めていて、地中からふわふわもくもくと白いものが朝日に向かって立ち上がっていました。

それはそれはとても幻想的な景色で、こんな朝を迎えた日はきっと静かに大きないいことが起こりそうな予感を漂わせているものです。

そんな予感に導かれるように、ある山の中のお家で開催される内輪のお話会に行ってみることにしました。なだらかな山の斜面の中腹にある家を目指し、てくてくと歩いている時、心から幸せを感じるあの満たされた一人の時間。

その先に出会うべく何かが確実にある安心と期待。喜んでいるのは私であり、同時に私ではないものである実感は、遠くもっと広い何かとつながれていることを知らせてくれます。

7月に東京から移住して早5か月が過ぎ、なんだか私の中で「おまかせ感」が日に日に再現なく大きくなっているのを感じます。自分はあるけどない。誰とつながるかも、そこで何をするのかもわからなくていい。だって、それは私の預かるところではないから。

それを体全体で喜び受け入れていると、どんどんどんどん背骨が広がっていっていろんなことが見えてきます(表現が謎)。

お話会ではもちろん会うべき人に会えましたが、感じるものがありすぎるからこそなんだかいったん時を置いたほうがいい気がして失礼ながら先に一人帰らせてもらいました。もしかしたら試しているのかもしれません。

そういう距離感の測り方がいいのか悪いのかわかりませんが、やはりその時の自分の直感にはしたがっていきたいと思います。

今日の話は抽象的すぎて何がいいたいのかまったくわからなくなってしまいました。最近なんだか本当に身の回りにスピリチュアルなことが起こり過ぎていて、それをうさんくさくなく伝える術がないことに悩んでいます。

まったく個人的なサイトではあるので自由に書きたい気持ちと、とはいえ本を寄贈してくれた方への責任として怪しさを爆発させてはいけない気持ちの板挟みで筆が進まない…。

まぁ、その問題もそのうち答えが出てくるものなのでしょうか。