悲しくて寂しくてどうしようもないとき。SNSで自分の気持ちを安易に発信するのではなく、手持ちの本の中に心安らぐ言葉を探すのではなく、共感を求めるのでも、いじけるのでも、気分転換を求めるのでもなく、ただ、今そのときをぐっと、じっと耐える精神力をつけたい。

 「死にたい」と、「死んでもいいのに」と、心の中でつぶやくこともなく、ただ、じっと、じっと、心が晴れるのを待つ強さを。

 以前は、そもそも「そういう気持ち」にならないことを望んだ。悲しさも寂しさも乗りこなしたかった。それが大人になることだと思っていた。

 でも、どうやらいい大人ほど悲しく寂しいものだと、幾人かの人たちを見て納得した。というより観念した。人間に永遠の幸せが訪れることはない。どんなに望む環境を手に入れても、愛し愛される関係を構築できても、そこでの満足はいっとき。永遠ではないから、やはり、ぐっと、じっと、耐える力を育てなければいけない。

 そうしないと、「そんなに悩んでいるようには見えなかったのに、ある日ふっと死を選んだあの芸能人」と同じ道を私もいつかたどるのではいかと、予感した。

 こんなにも自分は苦しんでいたのかと、死の直前まで気づかないことが私たちにはあるのだ。私もあなたも、それくらいの傷の蓄積を持っている可能性がある。

 寂しさに、悲しさに、暗闇に落ちているときの自分に、ただじっと耐えられる心の強さ。

その強さを支えるのは、「悲しくて寂しくて死にたいと思わないときの自分」。「そうではない自分」を、小さな灯としてどこまで信頼し、握りしめていられるのかにかかっていると思っている。

 そういう夜を、悲しいときほど小さい私の灯と共にじっと過ごしていく中で、悲しくて寂しくて、どうしようもないそんな私も静かに受け入れられる、穏やかな心が熟成されるのだと希望している。