わたしの書く文章が、わたしをこえる魅力を放つことはない

わたしの選ぶ選択が、わたしのもつ勇気をこえることはない

前向きなのか後ろ向きなのかわからない言葉が出てきました。

たぶん、人間らしく「自分」に悩んでいる証ですね(笑)

誰が見ているわけでもないこの雑記ですが、やはり文章はそれを書いた人の人柄や内面を映し出してしまうものだと思うので、こんな文章でも書いて公にするというのは、日々、羞恥心との闘いでもあるのです。

また、「それでも書かずにはいられない」と思うようなことも、そんなにたくさんあるわけでもない……。いったい、なぜ私は続けているのでしょうか。

ただ一つ最近気づいたのは、何か目に見える形、もっと単純に言えば「もの」にしないと私たちはうまく自分というものを認識できないのかもしれません。自分の肉体から切り離すような。私の場合は文章になりますが、要所要所で自分の考えていることや漠然とした気持ちを「もの」にすることは意外と大切。

そうすることで、自分がもつ枠というか、人としての出来高が実感できるのだと身をもってわかるようになりました。まぁその結果、大半の人は落ち込むでしょうが。

ここまで書いて何が言いたかったのかというと、「ものづくり」がもつ意味について興味が出始めているということです。

なんとなくですが、私たちはこれから誰しも職業に関係なく「ものをつくる」ことにつながっていくのではないかと感じます。それは昔の生活に戻るとかそれだけではなく、精神的な意味で必要になる気がするのです。