ジャックダニエルという有名なお酒を知ったのは、20歳の時。当時、ひょんなことから新宿のショットバーでアルバイトをすることになり、週2回、大学終わりの18時から22時までバーカウンターに立つことになりました。しかも二年間ほぼ一人で。

ただそんな素人を立たせるようなお店が繁盛することもなく、ただひっそりと善意ある常連さんによって成り立っているような場所でした。

常連がいるといっても、私が立つ日に来てくれる人はただ一人だけ。その人は当時40代くらいの細身の男性で、なぜかろくにお酒もつくれない私のことを面白がってよく来てくれたのです。

そして、その男性が毎回注文していたのがジャックダニエルのソーダ割り。素人バーテン相手にとてもいい判断です。後々知ることになりますが、その人はある日本舞踊の家元に通じる人で、厳格な世界の中で夕方になるとふらっとそんなお店に顔を出す日々というのは、あの人にとってどんな時間だったのか。

そして私にとってもどんな時間だったのか。一杯850円のジャックのソーダ割りがむしょうに懐かしく、新宿の煌びやかなネオンとは正反対の、なにかゆったりとした豊かな時だったとしか思い出せません。

その後、大学の卒業と共にお店も辞め、私は小さな植物専門の出版社に勤めました。そこで4つ上の女性が私の上司となり、電話の受け答えから文章の書き方、人との上手な接し方まですべて教えてくれることになったのです。

何もしらない新卒の私にとって、その女性が世界のすべてだった。そんな一時があったのです。

ある夜、その女性と仕事の帰りに神楽坂で飲むことになったのか、もしかしたら仕事で神楽坂に行った帰りだったのか、記憶はあやふやですがジャックダニエルの話になったのです。

私がその出版社に入社し彼女の部下になった日、彼女は4年付き合った男性とお別れしたと話してくれました。そしてその男性と同棲していたのが神楽坂で、どんな話の流れだったか、その彼とよくこの辺りのお店で飲んでいたのがジャックダニエルだと言ったのです。なんとなく、神楽坂の坂道を酔っ払いながら、じゃれ合いつつ家に帰る二人が見えた気がしました。

それからまた時は流れ、いつしか私の中でウィスキーといえばジャックダニエルになり、さまざまな場所で、また人と飲んできたと思います。

さて、この話はどう終わらせるつもりなのでしょうか。

言いたかったことはこれじゃない気もしますが、まとまらないので妥協します。まぁいいでしょう。

この6月に南房総に移住し、「THE BOSO WHISKY」という君津市でつくられているお酒を知ったのです。これがとても美味しい。

私の中でのデイリーウィスキーが変わったのです。これって、ささやかなことに見えて結構大きな変化。ただ、まだこのお酒には私なりの物語が足りません。そういう意味で、ジャックダニエルを超えないのです。

物には物語が必要。そう言ってしまうくらい、私は面倒な人間。

またそんな私だから、風の図書室が必要なのでしょう。

今、少しずつ物語を背負った本が集まってきています。