8月とは思えないほど肌寒い日です。長雨の影響により各地で土砂崩れが起きているようですが、我が家も少し心配な立地。
当初、「風の図書室」ではなく「崖の図書室」にしようかと考えたほどの大きな崖が家の背後に迫っているのです。さすがにそのネーミングは激しすぎるのでやめましたが(笑)。
ということで、今日も家で読書と物思いにふける贅沢な時間が過ごせます。
雨の日に思うことってそれぞれあると思いますが、最近加わった一つに「今日、葬儀の人は大変だろうな」というのがあります。
昨年の秋ごろからこちらに移住するまでの半年の間だけ、東京で葬儀の仕事をしていたからです。その仕事は葬儀スタッフの派遣業だったため、毎回いろんな葬儀場や火葬場、お寺、教会などにお手伝いに行きました。
どのような天気だろうと、葬儀にはしめやかな雰囲気があるものですが、雨降りはその中でも悲しみだけを際立たせて突き付けてくるように思えてしまいます。
ただでさえやりきれないのだから、もうやめてくれと天を仰いでいる人は今この時もいるのでしょう。
「風の図書室」が自分の蔵書の寄贈だけではなく、第三者が誰かの本を寄贈できるというのを明確にしているのも、この葬儀の仕事での経験が大きく影響しています。
火葬場に向かう前、故人との最後のお別れの時に棺の中に思い出の物をみんなで入れてあげます。
たいていはその人が好きだった食べ物やお手紙などが多いのですが、たまに本を入れてあげている場合があったのです。本読みの私からすると、「いったい何の本なんだろう」と気になって仕方ありませんでした。
またその場合は入れても一、二冊でしたが、きっと本を入れてもらえるこの人の家にはたくさんの蔵書があるのだろうなと思ったのです。
それらはどうなってしまうのだろう。残された人々にとって故人を思い出す物として大切にしてもらえたり、誰か欲しがっている人に譲られたりしていたらいいけれど、そんな恵まれた本はごくわずかでしょう。
それに遺品整理というのは、いずれはしなければいけないもの。生きている人にとって大切なお仕事です。
それなら、100冊あるうちの1冊だけでもその人が生きていた証として保存してあげられないか。そんな場所があれば、残りの99冊を心置きなく手放せるのではないかと思ったのです。
もちろん、残された人が自分自身で大切に持ち続けられるなら、その方がいいのかもしれません。ただ、長い間の中ではさまざまな想いに揺れ、「どこか別の場所に」と思う人もいるでしょう。
風の図書室の使い方は人それぞれになるでしょうが、そんな心ある遺品整理としての使われ方も増えるといいなと思います。