ハリーポッターのお話にある、「死の秘宝」という三つの幻の宝について知っているでしょうか。

無敵の力を持つ「ニワトコの杖」、死者の魂を呼び出すことのできる「蘇りの石」、着用すると姿を見えなくできる「透明マント」の三つです。

小説でハリーポッターをリアルタイムとして読んでいたのは私が小中学生の時だったのですが、初めてこの死の秘宝というものに触れた時から私を魅了したのは断然に透明マントでした。

誰にも見つからずに好きなように生活することができる。

私にとって透明マントはそれを着用することで何かを人知れず見れる、できるという積極的な行動のアイテムではなく、ただただ「今の生活、振る舞いを人から見られない」というだけの消極的な使い方に魅力がつまったアイテムだったのです。

それから現在にいたるまで、時々私の心に忍び寄る「透明マントがあったらなぁ」という願いと、なぜそう思うのかという自問自答。

先日久しぶりにその思いにとらわれたことで、東京から房総の田舎に引っ越し、以前より格段に人と接しない生活になったとしても同じようにそう思うのかと愕然とし、何か人間の業の深さみたいなものを感じたのです。

人とあまり会わない生活といってもまったく会わないわけではありませんし、ネットを通してさまざまな価値観に振り回されていたりもするので当然と言えば当然なのでしょうが。

その一方で今回新たに、私は透明マントによって私自身からも私を見えなくしたいのではないかとも思いはじめたのです。

私というものが、他社からの視線に影響されて形作られているというのは嫌になるくらいひしひしと実感はしている。ただその問題を乗り越えた先にも、まだ私自身の視線が私に突き刺さる。そしてその私自身はやはり他者の影響を受けている。

終わりのない循環の中から決して出られない。よく言えば、私たちは本当にさまざまな物、人と密接に関わりあっているのだなと思います。

とは言えやはり透明マントの出現を願い続けていても仕方ないので、別の方法を考えなければなりません。

答えのヒントを求めて今日も人様の知恵を漁りに読書です。楽しい本、つまらない本、簡単な本、難しい本。いろいろと手を出した先に、気がついたら心の端っこに何か置いてあったという感じになるといいなぁ。