成果の出ない日々を過ごしていると、ましてこれといった努力もしていなかったりすると、当然ですが悲観的になりますよね。
成果ってなんだよという話でもあるのですが、まぁ何というか「やった感」です。
そんな時、私はあえて過去のある二つの出来事を積極的に思い出します。それは「私が今まで生きていて、心から純粋にやってよかったと思うことは何か」という質問の答えでもあるのです。そもそも、その答えが二つだけというのも情けない話かもしれませんが、よかったら読んでください。
まず一つめ。私は小学生高学年の頃から酷いニキビ体質に悩まされていて、そのせいで本来楽しめたであろう青春の半分は捨ててしまっただろうと思っています。ありがたいことに親も心配してくれ、昔からさまざまな皮膚科に回ったのですが根本的な解決には至りませんでした。またある程度の歳になったら解決するとも思っていましたが、35歳の現在でもその悩みはましになりつつも継続中です。
お金もだいぶ使い、精神的にヤバいところまでいった時期もありました。そんな中、20代半ば頃に通っていたある皮膚科の薬がこれまでとは比べ物にならないくらいよく効いたのです。本当に泣きたいくらい嬉しいことでした。
それからしばらくして、小学生の時から仲良くしていた友達に、最近ひどい肌荒れで悩んでいると相談されたのです。もともと肌トラブルのある子ではなかったので、この歳になっていきなりのことでした。また私に相談する前から皮膚科には通っていたようですが、そこで処方される薬での効果はなく困っていたのです。
もちろん私は、その奇跡ともいえる皮膚科を紹介しました。その後、しばらくして彼女から連絡があり、その皮膚科に行ったらかなり深刻な婦人科系の病気が見つかり手術が決まったというのです。肌荒れもそのために起きていたことだったのでしょう。
この時、私の今までの苦労や悲しい思いがいっきにとけたのです。あぁ、ここにつながっていたのかと。とても大切な友達だったので、大げさに考えていることは承知で「それならいいよ。十年以上悩んできた私の気持ちも、この終着点があるのなら全然いいよ」と信じてもいない神につぶやいたのです。
二つめは前職の職場でのことです。そこではいろいろと思い悩むところがあり、最後までその職場で働いていたことが自分にとってよかったのかどうなのかはわかりませんでした。
しかしただ一つ、その職場の男性と私の高校時代の友達を軽い気持ちで引き合わせたところ、結婚することになったという大きな出会いの立役者になれたのです。
その時、「あぁ、このために私はこの職場に導かれたのだ」と納得しました。そう思えるくらい、その高校時代の友達は私にとって絶対に最高のパートナーに恵まれてほしい人でしたし、そのためなら履歴書に一行余計な職場名が追加されるくらい何てことはないと思えたのです。
どうでしょう。35年という決して短い期間ではない時間を生きてきて、心から「やってよかった」と思えることが、ニキビに本気で悩まされたけれど諦めずに皮膚科をさ迷っていい病院を友だちに紹介できたことと、よくわからない職場に転職したけれどそこでいい男性を友だちに紹介できたこと、この二つだけなのです。
少なくない?
ただこの二つだけは絶対で、文頭に書いたように今でも悲観的になった時に心の支えになってくれています。
私が生きていきた意味はあったと。
それで結局何が言いたかったのかというと、現在の状況が悲観的に思えたとしても、何につながっているかはわからないし、大いに期待がもてるということなのです。
しかも現状の自分の苦しさが、未来の自分の幸せに直結していると考えるよりも、誰か他者の幸せに寄与できている可能性がある。そう考えると、とても心が広がるのです。
そう思って今日をやり過ごし、終わらせようと思います。
こんなつたない文章にここまでお付き合いいただきありがとうございます。誰かに読んでもらえただけで、私はとても救われています。何か具体的なアクションを起こさなくても、人知れずつながるものがあると信じたい。ネットって面白いですね。