寄贈本がぽつぽつと集まってくるようになりました。この意味不明な図書室に本を寄贈してくれる方々には、心から感謝の念が沸き起こります。本当にありがとうございます。
風の図書室はまだ拠点がないため、寄贈本はひとまず私の家の一角にコーナーを設け置いているのですが、背表紙を向けて並ぶそれらの本を見ていると、一人ひとり寄贈者の「生」がまったく別であるという、当たり前のことに何か大きな真理を見たような気になります。
また同時に、私がつくりたいのは図書室の皮を被った霊園なのだということに改めて気づいたのです。縁起でもないことを言っていますかね?(笑)
うまく伝わるか自信がまったくないのですが、並んだ寄贈本の一つひとつは私にとってその人の墓石なのです。大丈夫です、まだ引かないでください。
もちろん寄贈者のほとんどは生きている方々ですので、何を言っているやらな話ですが、墓とはそもそも「想い」が宿る場所。
その場所をどこにするかは、それぞれの人が生きているうちに決めていいし、決まった形式はない。またいくつあってもいいものだと、そういう時代になってきているのではないかと思うのです。
生きている今も、いつか必ず訪れる死も、同じくらい積極的に考えたい。そのために本という物が、いい仲介役になってくれるのではないかと感じています。
なんてことを考えていたら、そもそも本がお墓の縮小版みたいな形をしていることにも気がつきました。これは好都合。
といっても、まだまだお寺やお墓はあまりいいイメージで捉えられていないので、この思いをどう打ち出していったらいいのか悩みどころですが。まぁ、ひとまずは共感してくれる人を待つの姿勢でもいいのかもしれません。
ただせっかくなのでキャッチコピーだけ考えてみました。(笑)
「生前でももちろんOK!余計なしがらみいらずで、あなたの想いを保存します。本墓のご相談なら風の図書室」
これを田舎のローカルCM風に頭の中で流すとちょっと平和な気分になります。新しいことをしたいのかなんなのかわからなくなってきました。