半年ほど前、般若心経にはまっていた時期がありました。いろいろと本を読んだり、お寺にお経を聞きに行ったりしていたのですが、もちろん短期間で深い意味を悟れるはずはなく、ただただそのリズムの心地よさに浸っていただけでした。

般若心経を私なりに解釈すると、「すべては『無』なのだからこだわらずに生きなさい」ということになると思います。

「色不異空」

目に見えるもの(色)は、何も見えないもの(空)と異なるところはない

「空不異色」

見えないものも、見えるものと異ならない

有名な「空」の思想に救われるような、むなしくなるような気持ち。また「空」は当然のように「無」や「ない」という意味で訳されていて、「死」や「永遠」といった未知数なものを連想させます。

というのが今までのお話。

昨日、ネットである記事を読んでいたら、般若心経のこの「空」を「変化する」と訳している人を見つけドキッとしたのです。とても興味深いなと。興味深かったけれど、あえてちゃんと読まずにその見出しだけお借りして、後は自分で租借してみようと思いました。

「空」というのは「無」ではあるけれど、その「無」が「無」になれるのは「変化」があるからなのだとしたら・・・。空は固定されたものではなく、常に流動的であるからこそ無の形をとっていられる。

物事や世の中は変わるとわかってはいても、私たちはいちいち何かあるとお決まりごとのように翻弄されています。どうすれば心穏やかに、心配事少なく暮らせるのか。空の思想を持てるのか。

その答えの一つに「変化」というキーワードを積極的に入れてみると、何だか少し輪郭が見えてきそうな気がします。変化が常態であり、むしろその変化が心に空をつくってくれるのなら、また違うアプローチで自分を変えていけそう。そしてやはり、私たちの一番の敵は変化を阻む執着や我の強さということになるのだと思います。

私個人の話でいうと、だんだんと執着は手放せるようになってきましたが、まだまだ「我」のほうは根強いですね。最強です。

しばらく離れていた仏教に久しぶりに触れて、何だか儲けもの的に癒されました。