自分のものは自分で管理する。ランドセルに入れる教科書を自分で揃える、毎月決まった額のお小遣いをもらうようになる、初めて自分で印鑑証明を取りに行く。

成長と共に私たちは自然と身の回りのものやことを自分で管理するようになってきたけれど、今年35歳になった私はそれが少し孤独だなと感じていることに気がつきました。

面倒とか、誰かに甘えたいとかではない何か。

たとえば昔、まだ小さかった頃に親と電車に乗ると切符を親に預けるのが普通でした。子供ってなぜか失くしますよね。改札を通れば「はい、預かってて」と渡すし、親も「お母さんに渡しなさい」と言うのが当たり前でした。

失くしてはいけない大切なものを信頼ある人に預け、それを持っていることなんてすっかり忘れていられる幸せ。あれが幸せだったなんて気がつかなかったな。

大人になった私たちは全部を自分で持っていなくてはいけない。もし大切なものを管理できなくても挽回する方法を知っているし、失くしにくい方法もだいぶ学んだけれど、誰かに預けるという軽やかな日々からは少しずつ離れていたんだろうなと思います。

といっても「預ける」って難しいですよね。預けるというぐらいのものって絶対に大切なものでしょうし、いつかは「返して」と言う時もくるかもしれない。その時に問題なく返してもらえる人じゃないと安心して預けられません。

その「預ける」の間にお金や契約書を挟んで、サービスとして受け取るのが私たちの日常ですが、なんだかそれに疲れてしまったのかな。

信頼だけで成り立つ世界なんてありえないですが、時には自分の中に少しだけ残っているはずの無垢の信頼力を使ってみたい。

なんてそんなことを考えている私は実はまったく反対側の人間で、振り返ると昔から他人のお金や物を預かっておくという立場にいることがたぶん人より多かったのです。

シンプルに預かっておくだけ。その時のままの状態を保つだけ。たまに本人が預けたことを忘れていそうなら、「あの時のあれ、まだちゃんと預かっているからね」と言うことが仕事なくらい。

「風の図書室」も建前上は寄贈として本の返却は原則しないとしていますが、私の中では一冊一冊、預かっているという感覚なのかもしれません。

大切なもの、ここに預けて後は軽やかにに過ごせと。

こう書くとまるで私を信頼しろ!と言っているようにも聞こえそうですが(笑)。

そもそも、どういう人だからあの人は信頼できるというのは第一段階で、第二段階は相手がどういう人だろうと私が信頼したいから信頼するという自分だけの話なのかなと思い始めました。出た!結局は自分の問題だよ問題!!

これが「預ける」を容易ならざるものにしているのでしょうか。私が孤独を感じてしまっている所以なのでしょうか。

なんだか堂々巡りな気がしてきましたので、今日はここで終わります。

今朝の南房総はすっきり晴れたかと思うといきなりの大雨で、やっぱりまだ天気は安定しないみたいです。