本日、3月9日で「風の図書室」が館山市のカフェMANDIのお隣に居を構え一年になります。本当にあっという間、気がつけば一年です。思えば、縁もゆかりもない房総に東京から越してきたのが2021年6月。突き動かされるように「誰かの思い入れのある一冊を集めよう」と、風の図書室を立ち上げコツコツと活動してきました。

始めた当初はまだ本も3、4冊で、そこに寄贈を呼びかけるチラシを持って各地のマルシェや駅前に立つ私は今思っても本当にあやしい奴だったと思います。何かを売るわけでもなく本をくれと言い、くれるというなら家まで付いていくが適当な本なら断るという……。

そんな風の図書室をいぶかしみながらも受け入れてくれた場所。思いのほか一等地。そこでこの一年、多くの人と本と戯れてきました。雨で誰も来ない中、一人で本を読んでいる時も、入りきらないくらい人が来てしまい座る場所をつくるのに奔走していた時も、夏の暑さや冬の寒さに耐えながらも、いつも幸せだったのはそこが本の場所だったからだと思います。

昨年の6月には「風六堂」という古書店もオープンし、より強く「人と本の関係」を身近に見ることができました。誰が何に反応し、どの一冊が買われていくのかをじっと感じていると、人が本を選ぶのではなく、本が人を選んでいるのだと思うようになりました。

どの一冊もすべて、必然性をもって旅立っていきます。またそう思うようになってから、本を売るということに気構えがまったくなくなったのです。それまでの私は、本屋たるもの圧倒的な知識量を持っていなくてはならないと感じ、ちょっと気おくれしている部分もありました。

しかし、「眠たくなるから本は読まない」「もう細かい字は見えないから本は卒業」「昔からたまに漫画を読むだけ」。そんなことを言う人たちにだって、なぜか買われていく本はあるのです。

難しい本、簡単な本、古い新しい、長い短い、内容のあるなし。本当にさまざまな本があるけれど、「本に選ばれる」という点においては、そこに上や下はなく、右でも左でもなく縦横無尽。まさに縁であり宇宙。

そんな言葉と出会いの宇宙に身を浸していると、言葉にならぬものが浮かび上がってきます。もしかしたら、私が本を読むのはそのためなのかもしれません。

ただやはり、人同士の縁と同じである程度の数はこなさないと運命の出会いには巡り合いにくいみたいなので、そのための場所としてこれからも本を並べ、寄贈を呼びかけていこうと思います。

一年の節目にこれまでお世話になった方々にお礼の言葉を伝えたかったのですが、ただの本への賛歌となってしまいました。お礼は個別に伝えていきますね。

最後になりますが、言葉にならぬものからの一周年記念のプレゼントなのか、先ほど古物商の申請が通ったと館山警察から電話がありました。これにより古本の買取などもできるようになりましたので、ご希望の方は直接ご連絡ください。