昨年の夏、83歳になる祖母を引き取った。引き取ったといっても、私の移住先である南房総の老人施設に入ってもらったので、特別なお世話をしているわけではない。しかし、祖母は80年以上暮らしてきた東京の下町から、何の因果か縁もゆかりもない千葉の最南端で暮らすことになったのだ。
なぜ孫である私が祖母を引き取るのか。そこを説明すると、くどくどしてしまいそうなので割愛する。家族はいろいろあるものなのだ。そんな祖母が9月に持病の悪化で入院することになってしまった。施設に入ってまだ2か月。慣れるとか慣れないとか、どんな環境でもある程度は諦めてほしいとか、しょうがないじゃないかとか、こちらとしてもいろいろと考えるけれども、結局のところやっぱりそこは祖母のいる場所ではなかったのだろう。
病院に入ってもう3ヵ月。祖母は完全にボケてしまった。医療的にも元の施設に戻ることは難しい。あっけない退所だ。大量の荷物を施設に引き取りに行く。私の軽自動車で三往復。狭い我が家には入りきらないので、ほとんどはそのままゴミ処理場へ。新しく買ったマットレスも、ちょっと奮発して買ったリクライニングチェアも、東京から持ってきた洋服のほとんども、心を無にして「はいはいはい」と捨てた。まだ死んだわけじゃないのにね。
それと同時に祖母が一人で住んでいた東京の自宅も整理し始めている。ここでもまた荷物の山。「ほいほいほい」と捨てた。この家で長年活躍してきた台所用具も、つい数か月前まで祖母の生活を支えてきていた介護用具も何もかも。
私は何か急ぎ過ぎてしまっている?何かを取りこぼしている?
しかし経験上、私は知っているのだ。人一人、この場合で言うなら私一人が抱えられる思い出の品の量はほんの少しで、またそれで充分であることを。
人生を写真50枚で
昨夜、祖母の自宅から持ち帰ってきた唯一の荷物である写真を整理した。ちゃんと紙焼きで現像する時代まっただ中の世代である祖母の人生を切り取った写真は膨大だ。祖父との結婚式を映した白黒のぼやけた一枚から、カラーが鮮明になるにつれ家族が増え、孫ができ、デジタルになる頃には杖をついている。
50枚。孫である私の一存でたった50枚の写真を厳選し、アルバム「祖母の一生」としてまとめた。あとは「捨て捨て捨て」。まったく、まだ死んでませんよと怒られてしまいそうだ。
だけどね、おばあちゃん。言い訳に聞こえるかもしれないのだけど、おばあちゃんの物を思い切って手放し、思い出の写真さえも小さくまとめたことで分かったの。私、今までより「今、生きているおばあちゃんに集中できそう」と。
過去って、どんなに素晴らしいものでも、絶対に忘れられないくらい辛いものでも、やっぱり刻一刻と今とは離れていっている。それは残酷なほど当たり前なことなのに、私たちは本当によく過去に足元を掬われてしまうでしょう。
だからね、私は風の図書室をつくったの。どんな想いも流れ去る。時間が経つことで。心変わりをすることで。その人自身がいなくなることで。
だけれど、子育て真っ盛りのおばあちゃんの笑顔の写真が私の心を捉えて離さないように、やっぱりその過去の一瞬が永遠だとも思うのですよ。
流れ去ってしまいそうな大切な「過去の一時」を預けておける場所。そうすることで安心して「今」を生きる力を与えてくれるような場所があってほしい。そんな場所がある世界であってほしい。
風の図書室をつくった動機を改めて考える年の瀬。来年はもう一歩踏み込んで、理想の場所にしていきたいと思います。引き続きよろしくお願い致します。