先日の金曜日、遠く長野県から風の図書室を訪れてくれた人がいました。
ネットでたまたま図書室を知り、ご自身が書いた本をこの4月に郵送で寄贈してくれた女性。寄贈本の内容は、2年前に亡くなってしまった愛する彼との日々を綴ったエッセイです。
その後の手紙のやり取りで、毎週金曜日に風の図書室で開かれているフライデーアフタヌーンバー(気軽な飲み会)に、まるでその亡くなってしまった彼がいるようですねという話になり、いつか遊びに来てくださいとお伝えしたところ今回の訪問になりました。
3週間程前に「図書室に伺う」とメールをもらってから、嬉しい気持ちの反面、ずっと不安な思いを抱えていました。なぜなら「遊びに来てください」と言ったはいいけれど、私にその悲しみを、長野から千葉の館山まで来てしまうほどの苦しさを受け止められるのか、何か少しでもプラスのものを返せるのかとずっと逡巡していたからです。
一緒に飲もうと約束した、彼女の愛する人が大好きだったオリオンビールを用意し、夕暮れを待つ。
そこに表れたのは、文章の雰囲気通りの可愛らしい女性でした。失礼ながら、いきなり号泣しだしたらどう声をかけようかと考えていた私の思いを軽くかわし、オリオンビールに合う沖縄のおつまみをおもむろに出す彼女。
ひとまず写真の彼と三人で乾杯。その日は一日曇り空でしたが、不思議と夕暮れのその時間、南国らしい陽ざしが顔を出しはじめました。ちょっと出来すぎているような気もしましたが、そんなことも起こって当然だと思わせる何かがその日の図書室にはあったのです。
愛する人がいなくなってしまうというのはどういうことなのか。
この苦しみはいつまで続くのか。
自分自身も死を願う気持ち。
それでも、その死があったからこそ生まれたもの、つながったものがある事実。
答えのないやり取りをしながら、これが風の図書室をつくった目的の一つである「グリーフケア」的な何かなのだとしたら、何もできないこの状態こそ本当に第一歩だと実感しました。
その後はいつもの常連さんたちが来てくれ楽しい宴会に。しきりに館山への移住を進める酔っ払いたちにもこれはこれで感謝です。
人と触れ合うっていいものです。今、生きている人とも、かつてこの世界にいた人とも、心を通わせられる場所になればと思います。