小さな縁側に本を並べただけの風の図書室。その一角に、昔この家の住人が使っていたのであろう勉強机を置いた。私はそこに座り本を読みながら来室者、もしくは寄贈本が来るのを待っている。

今日、ある人が言った。

「あなたはここにいる間、そうして本を読んでいるの?」

そうですよ。誰もいない時は本を読んでいるか、寄贈してくれた人にお手紙を書いているか。

「もしかしたら、あなたはとても贅沢な時を過ごしているのかもね」

正直に言って、そのような感覚はあった。私のような年齢で日中、本を読みながら人を待つという過ごし方をしている人は多くはないだろう。

「でも、それはあなたが選び取ったものなのよね」

仕事として商売をしているわけではない。妙齢の女性らしく子育てに奮闘しているわけでもない。はたから見たらお気楽な身分、そんな感じ。

だけれど、その人が私の中に何かしらの「意思」を感じてくれている。そのことがとても嬉しい。しかし、私は恥ずかしさから「でもこれを選び取ったことで手に入れてないこともありますよ」なんて気取ったことを言った。

そんなやりとりを振り返って思う。

この環境、この状況がどのようなものであろうと自分の意思がしっかりと介在していると思えることの幸せ、安堵感を。もちろん偶然や流れというもので人生のほとんどは形作られているのだろうけれど、ここぞという時には普段はない勇気や勢いを総動員して私の意思を選び取っていきたいと思う。